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by shinanoya-chubei
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つげ義春の秋葉街道
浜松から秋葉街道を走ったのはつい先日のことだ。
1973年というから今から35年前、つげ義春が同じルートを飯田線と徒歩で辿っている。
「ガロ時代」の後、いわゆる「旅もの」シリーズの「リアリズムの宿」を発表した年である。
この頃のつげは井上井月も旅行家の菅江真澄も知らなかったというから、飯田線という当時でも立派なローカル線であった過疎の旅を企てたに過ぎないのかもしれない。
静岡側の水窪(みさくぼ)長野県の上村、下栗、大鹿村、高遠から茅野に抜けた旅の風景がつげのカメラに収められている。
水窪
上村・・・・遠山郷である。
天空の村・・・・下栗。
大鹿村・・・鹿塩温泉辺りか。
そして高遠は・・・・
なんと、これは栗田集落ではないだろうか? そして、この建物は現在の長藤文庫のように私には見えるのだが。
つげの辿った道程を、私はクルマで走りぬけたが、下栗には立ち寄れなかった。
次回は必ず訪れようと思うが、この憧憬の秘境を、どうか日本のチロルなどと安っぽく呼ばないで欲しいと思うのだ。
1973年というから今から35年前、つげ義春が同じルートを飯田線と徒歩で辿っている。
「ガロ時代」の後、いわゆる「旅もの」シリーズの「リアリズムの宿」を発表した年である。
この頃のつげは井上井月も旅行家の菅江真澄も知らなかったというから、飯田線という当時でも立派なローカル線であった過疎の旅を企てたに過ぎないのかもしれない。
静岡側の水窪(みさくぼ)長野県の上村、下栗、大鹿村、高遠から茅野に抜けた旅の風景がつげのカメラに収められている。
水窪
上村・・・・遠山郷である。
天空の村・・・・下栗。
大鹿村・・・鹿塩温泉辺りか。
そして高遠は・・・・
なんと、これは栗田集落ではないだろうか? そして、この建物は現在の長藤文庫のように私には見えるのだが。
つげの辿った道程を、私はクルマで走りぬけたが、下栗には立ち寄れなかった。
次回は必ず訪れようと思うが、この憧憬の秘境を、どうか日本のチロルなどと安っぽく呼ばないで欲しいと思うのだ。
by SHINANOYA-CHUBEI
| 2008-10-09 18:53
| つぶやき中米